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忌野清志郎 訃報

忌野清志郎さん訃報。数年前にガンに仆れた忌野清志郎さんが、まさしく不死鳥のごとくに復活し、復帰コンサートの映像を見て、「よかった」と思ったのもまだ記憶に新しいところですが、その後またしばらく姿が見えなくなっていたので、ずいぶん心配していたのですが、とうとうガンには勝つことができませんでした。昨年2008年2月に、東京の日本武道館で開かれた「 忌野清志郎・完全復活祭 」でしたが、残念ながら「完全復活」はならなかったわけですね。2009年5月2日、ロックミュージシャンの忌野清志郎さんは58歳で死去されました。忌野清志郎さんは、その独特のコスチュームや、印象に残る声色、節回しで多くのファンを魅了してきました。私個人としては、井上陽水さんとのコラボレーションで行ったコンサートでの「帰れない二人」がすごく感動したということを思い出します。「帰れない二人」は井上陽水さんとの共作の名曲でしたが、忌野清志郎さん自身も数々の心に残る名曲を残しています。

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忌野清志郎 井上陽水

忌野清志郎さんと 井上陽水 さん。井上陽水さんと言えば、先日、筑紫哲也さんも亡くなられて、今度は昨日の忌野清志郎さんということで、井上さんにとって大切な人が次々と逝ってしまい、とても寂しい重いをされていると思います。忌野清志郎さんの名曲と言えば、cmでもおなじみの曲「 パパの歌 」もその一つでしょう。おそらくこのフレーズを聴けば誰もが、「ああ、あの曲か・・・」と思いだされると思います。「昼間のパパは、ちょっと違う・・・昼間のパパは、男だぜ!」という、アレですね。その他にも、「僕の好きな先生」や、名曲「雨上がりの夜空に」、そして、やはりcmでおなじみの「デイドリーム・ビリーバー」など、ここに挙げていけばきりがないほど多数の曲を生み出しました。ロックミュージシャン・忌野清志郎さんは、特に晩年はソロシンガーとしてのイメージが強いですが、多くのミュージシャンがそうであるように、忌野清志郎さんもまたバンドとしてメジャーデビューを果たしていましたね。

RCサクセッション

RCサクセッションの 忌野清志郎 さん。今は懐かしい感じがしますが、「RCサクセッション」というとかなりファンも多かったのではないかと思いますが、その「RCサクセッション」が忌野清志郎さんのバンドでした。ちょっと意外なエピソードとしては、この「RCサクセッション」というバンドは、発足当初はフォークミュージックが主体のバンドだったそうで、それが途中、ロックバンドスタイルにイメージチェンジしてから、RCサクセッションの知名度はぐんぐん上昇したという記憶があります。そのころのRCサクセッションの音楽スタイルは、今でこそThe Blue Heartsなどの活躍で、日本でもすっかりおなじみになりましたが、「パンクロック」という言い方を初めて取り入れられたほど強烈な個性あふれる音楽スタイルでした。あれは本当にセンセーショナルなバンドでした。その意味では、現在の音楽の一端を間違いなく担っていたと言っても過言ではありませんね。

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有り難う 忌野清志郎さん

有り難う忌野清志郎さん。そして、忌野清志郎さんはRCサクセッション解散後、本格的にソロ活動を開始し、ヒット曲を連発させるようになりました。ただ、そのころから体調は思わしくないところがあったようで、テレビやライブなどに出演される忌野清志郎さんとはまた違った一面も持っていたようです。まあ、忌野清志郎さんと言えば、その奇抜なコスチュームが目を引きましたが、今思えば、その奥におさまっていた身体は男性としてはずいぶん細く、また、メイクでごまかしてはいたのかもしれませんが、顔色もどちらかというと健康な人のそれとはあきらかに違う様子であったように思います。忌野清志郎さんのキャラクターは、まあロックの基本である「反骨精神」みたいなものがやはり氏の基本であったようにも思うわけで、たとえばステージネームの「忌野清志郎」というのもいかにも彼らしいネーミングではあったと思いますが、こうして忌野清志郎さんが亡くなってしまうと、やはりこのステージネームがよくなかったのかな・・・などというふうに思えてなりません。今さら言っても仕方ありませんが、とにかく忌野清志郎さんのご冥福をお祈りします。

忌野清志郎 訃報